ビートルズ結成当初から、2人の友情の証として、どちらか一方がたとえ単独で作った曲でも、クレジットは「レノン=マッカートニー」、または「マッカートニー=レノン」(初期のレコードアルバムで見られる表記)と連名にする約束が2人の間で取り交わされていたからであろう。このことは後のいくつかの法的争いの元凶ともなる。この約束をジョンは比較的律儀に守っており、1969年にジョンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表した「平和を我等に(原題:Give Peace a Chance)」の作詞作曲も「レノン=マッカートニー」とクレジットされている。彼等の作品は全米、全英ともNo.1になった曲が最も多く、『ギネス・ワールド・レコーズ』には最も成功したシンガー・ソングライターとして記載されている。