進め電波少年

編集

ジャンル

トーク・お笑い/バラエティー

年代

1990年代(頃)

出演者

松本明子  松村邦洋

  あなたの評価を選んで

  をクリックしてください!
mixiチェック

カテゴリ:「進め電波少年」の評価とレビュー



内容説明

・スタッフ
・主題歌
・挿入歌
・概要 など

トーク・お笑い/バラエティー進め電波少年」についての内容です。

スタジオトークではセットを用いず、松本明子と松村邦洋の2人とゲストの顔だけを映し、CGアートをバックにクロマキーで出演者の顔あるいは上半身だけを合成するという、それまでにない斬新な手法が用いられた。たまに出演者の顔が横に伸びたり、破裂するなどの映像効果があったのもこの番組の特徴である。なお、その映像効果を付けるための機械は、当時、日本テレビを含め全世界に数台しか無かったという。

番組初期にはテレビ番組にめったにに出演しない松任谷由実もゲスト出演した。また構成作家のおちまさとの妻が、なぜかゲスト出演したこともある。このほか、番組のプロデュースと演出を手がけた土屋がTプロデューサーとして、番組内でも若手芸人に使命を伝える場面で度々登場。彼の名を大きく知らしめた。

アポなしロケ
当初は「アポなしロケ」という、2人やゲストが事前許可(アポイント)を取らず多くの著名人に様々な依頼を敢行するという企画を中心に行われた。そのスリリングさから人気を博したが、たびたび「無礼だ」などと抗議の的となるお騒がせ番組でもあった。

アポなし企画は政治家をネタにすることも多く、そのため松本と松村の二人は永田町周辺ではブラックリストに載っていたとされている。またアポなしでマフィアのボスに会いに行ったり、暴力団の事務所に行ったり、夜のスラム街に行ったりと、生命に関わる危険なロケも多かったが(松村は拳銃で脅されたことすらある)、それが視聴者の興味をそそり高視聴率を記録した。またアポ無し取材で原水爆禁止日本協議会(原水協)に「核廃絶推進番組」のお墨付きをもらったこともある。

ヒッチハイク企画
1996年4月に始まった「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」によって番組は空前の人気を博し、社会現象とまでなった。それ以降は無名のタレントを使ってまさに体を張った体験取材企画が中心となったことで、前出のアポなし取材は1997年以降ほとんど行われなくなり、松村も後述の理由から降板を余儀なくされた。

進め電波少年のユーザーレビューレビュー・ユーザ評価

進め電波少年

お気に入りBOXに入れる

入れる

お気に入りBOX に入れている人

「お気に入りBOX」に入れている人は
まだいません

COPYRIGHT © 2008-2011 Pompy Entertainment. All Rights Reserved.